温浴文化へのこだわり

未来の温浴をデザインする。

私たち人間は、長い歴史の中で、生活に「あたためる」ことを取り入れ続けてきました。
服を着ること、温かな料理を食べること、火を囲むこと、お湯につかること……。
それは、自分を大切にする時間、一緒に過ごす人たちと共に満たされる時間でもありました。
あたたまった身体と心は、 人と人を結び、時代をつくる力を生んできました。
私たちメトスは、持てる知識と技術、そして遊び心を最大限に活かして 最高の温浴を伝えて、デザインしていきます。
新しい発見と体験、そして心身へのやさしさに満ちた時間を過ごすことは、 人の生きる力となり、あたたかな未来をつくる力になるはずです。

WE ARE SAUNER われらサウナ人

旧中山産業(現メトス)で昭和50年(1975年)頃から使っていた「われらサウナ人」のポスター。
当時、サウナでこのポスターを目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
時代やスタッフは変わっても、メトスはサウナ人としてのスピリッツを継承しています。

日本のサウナ文化とメトス

昭和の時代に日本に広まったサウナ。

諸説あるものの、日本で初めての公衆サウナは、1951年(昭和26年)に東京・銀座の松屋デパート裏に建てられた温浴施設「東京温泉」に導入された蒸し風呂でした。それから5年後の1956年(昭和31年)、名称を「サウナ風呂」に変更します。

サウナが広く知られるようになったきっかけは、1964年(昭和39年)の東京オリンピックです。

フィンランド大使館の多大な協力もあって選手村に建てられたサウナ施設は、テレビや新聞などを通して日本中にサウナという温浴文化を広めました。

たくさん働いて日本全体を豊かにしようとする思いが人々を動かしていた時代において、日本を支えるお父さんたちの娯楽のひとつだったのが当時の公衆サウナであり、そのサウナを日本中に普及する中心的役割を果たしたのがメトスでした。

娯楽の場であり、疲れを吹き飛ばす癒やしの場でもあるサウナ。
日本に伝わって半世紀以上経ち、日本ならではのサウナ文化も生み出され、これからもサウナの楽しみ方は広がっていくでしょう。
しかし、サウナが古来より心身を癒やしエネルギーを引き出す場だったことを、私たちは知っています。
時代が変わり、ひとびとの仕事に対する考え方やライフスタイルも多様化する一方で、物質的な豊かさだけでなく精神的な豊かさを望む人達も増えてきました。
私たちメトスは、サウナの本質的な良さを時代のニーズに合わせながら創造・啓蒙していきます。
それが日本の温浴文化、特に日本のサウナ文化を担ってきたリーディングカンパニーとしての務めだと信じています。